サッカーにおける正義とは?

いまU-20女子アジア杯決勝を見終わったところ。
北朝鮮が優勝。
最後には露骨な時間稼ぎ。
それまでの激しいがクリーンだった試合が台無し。

いってみれば
「そこまでして勝ちたいの?」
「そうやって得た勝利に意味はあるの?」
といいたいくらいのもので。

日本代表の問題はいつでも戦術。
北朝鮮のストロングポイントはわかっていたはず。
前半途中まではそれを意識しての守備ができていて
それゆえの得点もあったはず。
前半終了間際の失点は対策を講じたはずの
右サイドからのクロス。

後半はほぼ北朝鮮ペース。
結局は相手のストロングに屈したということ。
つまりは戦術負けだ。

日本代表のフル代表でも時折こういうケースが見られる。
なぜこんな戦い方で負けてしまうのか、というやつ。
事前に情報もあって対策もしているはずなのに
相手のストロングに屈する。
(女子も男子も同じだ)

日本人監督の限界なのだろうか。
外国人監督で最高給取りでもつれてくれば
状況は明らかに変わるのだろうが
いまの日本にそんなお金はない。
(これは安倍総理時代からの
 おかしな経済政策に起因するのだがそれは別の話)

選手のレベルでは勝っていると思うが
監督のレベルでは50歩100歩
ということなのだろうか。
まあ、しろうとの推測にすぎないのだが。

さらに最近
J1でやたら調子のいい町田の話題が
ニュースになりつつある。
そのたびにスマホにあの監督の顔が出てくる。
あまり見たくない顔だ。
たぶん裏で見えないところで相当
選手やまわりの人間にプレッシャーを
かけているだろう。
まあ、しろうとの推測に過ぎないのだが。

同じような印象を持つひとに
長渕剛さん、松本人志さん、ガーシーさん(執行猶予つきだそうで)
などなど。
成田悠輔氏も入れるべきなのかもしれない。
老人自決、とかいってるらしいから。
このひと60くらいになったら自決するか
私は見届けられるか、自信がない。心か体をやられて
もう先にいなくなっているだろう。

話がずれてきた。

町田ゼルビアが快進撃を続けて
この監督が救世主のように社会に受け入れられて
Jリーグが勝利至上主義一辺倒になったとしたら
私はもうサッカーを見なくなるかもしれない。
どこかにロマンを求めているのだろう。

大好きなマリノスでも
試合を見るたびにこの監督の顔が浮かんで
いやな気持になってしまったらとてもつらい。

考えてみれば
サッカーに限らずいまの世の中
勝利至上主義。
お金至上主義、といいかえてもいいかもしれない。

それについていうならば
お金は大事だ。なければ生きていけない。
でも、それだけじゃないだろう?
パンのみにて生きるにあらず、
と崇高なことまではいわないが
どこかに楽しく生きるためのすき間が必要だ。
少なくとも私には。

この日本は資本主義、民主主義をとっている。
と思っているけれど、実際には
資本主義は裏側でいろんな隠れた仕組みがあり、
民主主義も長い時間の経過とそのなかの癒着で
機能していない。

新聞、TVはどこのチャンネルも
なぜか同じニュースを同じように話しているだけだ。
だれも統制していないことになっている
(なっているだけ、でもあるが)
のに、まるで共産主義国のように統制がとれている。

町田ゼルビアの監督のサッカーにも
同じものを見ている。
まだ実際に90分の試合を通してみたことはないが
いずれマリノスと戦うときには
それがほんとうにどういうものなのか
見ることになろう。

事前の色メガネが誤ったものであれば
まだいいのだが。

タイトルの答えをいっていなかった。
サッカーにおける正義などない。

最近、旅人中田氏とトッティ(それほどすごいひと
という認識は私にはないが)の対談で
いまのサッカーはフィジカル重視でつまらないから
まったく見ない、という話があったというニュースを見た。
(伝聞の伝聞みたいなものだが)
おまけに最近引退した元浦和の最後は岐阜で引退した選手も
同じようなことをいっていた。
この選手は素行の問題で浦和をくびになったのを覚えている。
このひとの発言を取り上げる必要があるのか、とも思うが。

日本人にとってのサッカーは
ペレに始まっていると思っている。
華麗な足さばきへのあこがれ。
そこから一連のフィジカルサッカーへの嫌悪が
導き出されたものと思っている。

やっと日本代表のサッカーも
紆余曲折を経て、短いパスを主体にして攻め込む
前に早いサッカー、という共通認識を国全体で
持つにいたったように感じている。
そこに至る中で功労者ともいえる中田氏が
自らが当時、フィジカルが強かったことで
中盤の王様となれていたことなどなかったかのように
フィジカル重視を嫌悪しているのはやや滑稽に思われた。

あらゆる国がその国のサッカーを持っている。
そこには(たぶん)優越などない(はずだ)。
(最近はやりのSDGS的にも)

同じようにフィジカル重視のサッカーを嫌悪して
それゆえにサッカーを見ない、ということが表すのは
そこまでサッカーが好きではなかった、ということだ。

私も今回の町田ゼルビアの快進撃の向こうで
同じように白旗をあげて
もうサッカーなんてみない、なんて
いわないよぜったい。

よくわからなくなってきたので
この辺にしておこう。

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