哲学はむずかしい

子供の頃から、「哲学」とかいうとかっこいい、

と思っていた。

で、それなりの年齢になってから

いろいろ読もうとしてみた。

でも、全然理解できなかった。

文学作品の有名な大作とかもそうなんだけど

「よし、読むぞ」

と思ったのもつかの間、ほんの2ページくらいで

「あんまりおもしろくないな」

と、やめてしまったり、

せいぜい50ページくらいまでがんばったとしても

その時にはなにも理解していない自分に気づいてしまう。

「まれに最後まで読んだぞ」

と思っても、なにひとつ覚えていない。

ただ字面を追っただけで、読んだ意味がない。

てなわけで、いまだに私の部屋には

ウィトゲンシュタインの全集がころがっている。

しかも読んでもないのに、いくつか欠落していて

売っても二束三文だろう。

そんな印象の哲学だが、昔はすべての学問の基礎だった。

いまやこの国では

理系崇拝の傾向が漂い、国立大学などは文系へのお金が削られていると聞く。

もちろん現実に役立つのがすぐ見えるのは理系的な出来事が多い。

それは時に生活を変えていく。

たとえば最近では

LEDの発見・発明。電球はLED買った方がいいよね、的な時代になったりした。

でも経済学(少しは数学入ってくるから、やや理系より?)だって実学。

正直、その理論がどれくらい現実の則しているのか、について

私はおおいに疑問を持っているが、世界中で信じきっているからそれを元に

世の中を考えざるを得ないだけのことではあるが。

ひるがえって哲学。

目に見えて、それで生活がどうなったという話は聞かないけど、

NHK(嫌いなひともいるらしい。お金は納得したひとだけから徴収でいいと私は思ってる)

のまじめな番組で世界情勢を語るところで

エマニュエル・トッドさんとか出てくると、ああ有名なひとなんだな。

私よりずっと頭がよくて、いろいろ知っていて、考えてるひとなんだなと思う。

こういうひとが哲学者だと思っている。

正確には、トッドさんは

「フランスの人口統計学者、歴史学者、人類学者」(Wikipediaから)

なのだそうだが。

私たちの知らないところで

頭のいいひと、力のある人(腕力ではない、と思う)、責任ある地位にある人

が世の中の大きな流れや、仕組みを決めている。

調べればわかることも、隠れてコソコソやってることも、隠してないけど調べられないことも

いろいろあるけれど、そこで決まったことの中で

私たちは普通に毎日暮らしている。

もしかしたら、そこで決まっていることは

もっとよくできるのかもしれない

あるいは、もっと悪くなっていたかもしれない。

そんなどこか遠いところの話をするのに

きっと、「哲学」は必要なんだろうと思う。

ときどきテレビ(私はよく見る)でそういう偉い、頭のいい人たちの話を

見聞きするときに、話の前提だったり、ちょっと話が飛んだ時に見える

知識の豊富さに、私は打ちのめされてしまう。

もっとまじめに「哲学」とか勉強して、もっとその先に進んでいれば

この話ももっとよくわかったのだろうに、と。

でも、そもそも

「哲学」に私なりに相対したときに

そのときの自分の限界は知ったはずなのだから、そんな無理は望みは

捨てるべきなのだ。

もし、望みをいうのなら

いまからもう一度、「哲学」を勉強しよう、とか

そういう前向きであるべき。

とか書きながら

もはやそんなパワーないな、と思ってたりするのだった。

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