にゃんにゃんにゃんで猫の日?
らしいけれど、猫は大好きだけれど飼っていないので話題なく。
ロシアのウクライナ侵攻の件はおいおいどこかで書きたいが今日はその時ではない。
竹島の日
なのだそうだ。
中学生や若い人に関心を持ってほしい、と中学生の意見を報道していた。
(たぶんNHKのニュースで見た)
以下、これについて考えてみたい。
なお、これから書くことは
私なりの考えを述べたものであり、ここで出てきたひとの意見を
非難したり、批判したり、個人的な中傷にならないよう注意する。
私の理解したところでは、この記事で書かれていることの中に
正しい知識を持って、考えることが必要だ
という基本姿勢があるように思われる。
これは正しい態度であるように思う。
自分が絶対的に正しい位置にいるわけではないから、
常にそれを見直しながら対話を続けようとすることが大事、と。
でも現実世界では、その向こう側にいるひともいる。
たとえばプーチン氏。正しいかどうか、は問題ではない。
彼にとっての正しさは自分が正しいと思うかどうか、で決まる。
そういう相手を前に何を語ればいいのだろうか。
たとえば竹島の話でいえば
我々日本の側からみると、ちょうどプーチン氏と同じところに
韓国側が立っているように見える。
さらに竹島の話でいえば、
歴史の問題ではたぶんないのだ。
有史以前、たぶんだれも住んでいないか、
数人がごく短い時間すごしたくらいの島。
限りなくさかのぼれば、そこは海の底だったかもしれないし、
大陸の中の一地域だったかもしれない。
じゃあどこで線を引く?
すべてが恣意的な線引きにすぎない。
たとえ日本が世界的に認められた手順でその領土を保持している
と認められていたとしても。
といいつつ、これはことばの遊びだ。
現実世界では別に筋道が通っていようがいまいが
関係はない。
ただ現実だけがものをいう。
日本はその点で大きな過ちを犯したらしい。
実際にひとに入られて、実際に生活されてしまえば
彼らに権利が発生しかねない。
北方領土も時間をかけて理解を得ようとしすぎたあまり
ソ連時代から住んでいるひとの歴史はかなりのものになってしまった。
長い時間の尺度で見ていくと、だれが正しいかわからなくなるのも
時間の問題ではないだろうか。
もちろん北方領土も竹島も
日本の領土、という意識は私にもある。
歴史的に正しい認識だ、と思ってもいる。
でも、じゃあなぜいまそれら2つの問題は発生しているのか?
日本に落ち度があったからである。
第二次世界大戦での敗戦で終戦直前にソ連に北方領土にせめこまれ、
その後の混迷期になし崩し的に竹島を掠め取られる失態。
それは簡単には取り戻せない失態であった。
本当に取り戻そうとするならば
戦争という手段も選択肢のひとつではあろう。
だがそれはいまのウクライナ紛争を見てもわかるように
大きな賭けだ。
たとえばアメリカが昔やったように、お金で買うというのも手段なのだろうが
領土がいろんな海洋での権利に結びついたりする現状では
昔ほど牧歌的に売り買いできるものでもないだろう。
安全保障の問題も当然あるし。
できることは
歴史的に正しい、という啓蒙を国内、あるいは全世界に向けて続けていき、
たとえば相手国(ロシア、韓国)が世界的に致命的なミスを
犯すのをじっと待つ(あるいは性格悪く、そうなるよう導く、追い込む)
ということくらいだろう。
そのミスの致命的な度合いによっては、迷惑を受けた国として
賠償金代わりに領土をもらう(返還とこちら側はいうだろうが)こともできるかもしれない。
領土を返してもらう(相手からすれば奪われる)ためにはそれくらいの
大きななにかが必要なのだと現実的に理解しておくことが
一番必要なことなのではないか、と思っている。
なにかすれば返してくれる、とか、こちらの思う正論を理解してくれれば返してくれる
などと思うことは単なる夢想である。
日本国内で、理想を語ることは問題ない。よいことだと思う。
だが韓国やロシアでは
同じ理屈をまったく逆にひっくり返して
理想として語られているだろうことは忘れてはならない。
そんな2つの国が話し合って領土問題を解決などできるわけがない。
これが私の今日の結論である。
ブログの書き方として、本当は最初に結論を書くらしい。
さらに最後にも書いたりして、念を押した方がいいらしい。
と、どこかで読んだのだが、まったく実践できていない。
これではこのブログもだれかにのっとられてしまうまで時間はかからないかも。
運のいいことに(?)そもそもだれも読んでないから、盗まれる可能性はかなり低いのだが。
とかいってるうちに、もう2/22が今日ではなくなりそうである。(現在22:51)
なにをやってるんだか。
コメント